メンバー紹介

岩垂徳行(Noriyuki Iwadare)trombone

岩垂徳行 ▼
ホームページ

作曲・編曲家。長野県松本市出身在住。
大学在学中にほぼ独学で作曲の基礎を築く。4年間のバンド活動のあと、数々のゲーム音楽の作曲、アーティストへの楽曲提供、東京ディズニーリゾートなどのショー・イベント、舞台、放送関係など多方面での音楽制作を行っている。また「Japan Expo」をはじめ世界各国でのライブやレコーディングの他、オーケストラへの造詣も深く、「逆転裁判」など多くのゲームタイトルのスコアを制作。指揮者としても活動歴が長く、特に若手の演奏家たちへの指導には定評がある。

安齋拓磨(Takuma Anzai)drums

安齋拓磨 ▼
Instagram
YouTube

福島県福島市出身。米バークリー音楽大学入学を機に渡米し、卒業後ボストン/NYを拠点に活動をする。グラミー受賞シンガーTim Young、ミュージカル”rent”出演などで知られるMarcus Paul James, Crystal Monee Hall等、数多くのブロードウェイシンガーと共演し、自身が参加したロックバンドではBon JoviやKid Rock等のオープニングを務める他、ダンスミュージック、ジャズ、ゴスペルなど、多ジャンルに活躍するドラマー/パーカッショニスト。現在拠点を日本に移し、エンジニア/プロデューサーとしても活動している。国内ドラムメーカーCANOPUSの契約アーティスト。

小笠原幸子(Sachiko Ogasawara)Piano

小笠原幸子 ▼
Twitter

秋田県秋田市生まれ、埼玉県入間市出身。幼少から作曲、ピアノに親しみ、高校生からシンセサイザーで宅録(現在のDTM)を開始。大学(応用化学科)卒業後、弟子にしてくださいと頼み込み岩垂徳行の元で作曲・編曲を学ぶ。音楽と並行して会社員を続ける中、幼少から親しんだピアノを活かそうと、あびる竜太にジャズ・ラテンピアノを師事。30代後半からはJazzに絞って勉強を続け、縁あって親友の住む函館でジャズライブを毎年開催することになる。

プロローグ(Jazzバンド Salon de Persが出来るまで)

2019年2月9日(土)、東京三軒茶屋で初お披露目となった”岩垂徳行(tb)、安齋拓磨(ds)、小笠原幸子(p)”の三人でのジャズライブ「Live@Tokyo」。松本在住の岩垂徳行、NYから帰国したばかりの安齋拓磨、函館を拠点にジャズライブを開催してきた小笠原幸子が、一同に東京に集まり開催したライブだった。

事の発端は、「大人のためのゲーム音楽会Vol.3」。ゲーム音楽作曲家として活躍中の岩垂徳行がトロンボーンで演奏を行う。岩垂の長年の不肖の弟子、小笠原幸子はトロンボーンを吹く岩垂徳行を初めて見た。なぜか函館に行きたそうにする師を見て、函館でのJazzライブにゲストに来てもらおう!と閃く。

2018年の初夏、函館でのJazzライブに岩垂徳行を特別ゲストに迎え、ゲーム音楽とジャズのスタンダードを演奏。地元函館の多数のミュージシャンとの共演は夢のようだった。また岩垂徳行の音楽やステージ、そして観客に対する真摯な姿、抜群の音のセンス、機転のきいたMCを目の当たりにし、改めてこの人から学ぼうと「東京で一緒にやりましょう!年1回、20回くらいね!」と勢いに任せ誘う。

”Jazzを学ぶならば名門バークリー音楽大学で”という師のアドバイスもあり、その一つのキッカケとしてNY帰り・バークリー卒の英才ドラマー、安齋拓磨を紹介される。優しく素直で温和な性格な拓磨は、岩垂氏と同様に酒を飲まないため、国分寺のJazz喫茶でのセッションに二人で出かけることに。その後東京でJazzを岩垂氏と演奏するので一緒にお願いしたいと拓磨に依頼をする。オールラウンドに演奏できる彼はJazzでもその威力を発揮。Salon de Persのリズムの核となる。

2019年2月、初演を終える。その夜3人は次のライブに向けて少しづつ動き出していた。ゲーム音楽作曲家がJazzに真っ向勝負、弟子が師匠をTrombonistとして起用、そこに巻き込まれる米国帰りの若き英才Drummer。ちょっと考えただけでもヘンテコ過ぎるこのバンドに、興味を示す人物が・・・。

そう、作曲家の伊藤賢治氏もがSalon de Persに巻き込まれ?!特別ゲストでJazzに挑戦!という事態になってしまったのだ。煽る岩垂氏、誘ってみたものの真っ青になる小笠原。


Salon de Pers(サロン・ド・パース)バンド名の由来

2019年2月8日、Live@Tokyoのリハーサルの為に集合した小笠原・岩垂・安齋の3人だったが、岩垂徳行がぎっくり腰を発症、立ち上がることもままならない状態に。また安齋拓磨も首を痛めて負傷していた。そこで湿布薬で有名な商品名をフランス語風に文字って、「サロン・ド・パース」となったのであった。